10月だというのに季節外れの夏日を記録した台風一過の都内。
生温い強風冷めやらぬ初夏の様な気候の中、久しぶりに薄手の短パンを履き、いつもの様に自転車を漕いでいる最中に、その事件は起きた。
いつも財布が入りもっこりと膨らんでいるはずの右ポケットが軽いことに不意に気付き、加速する下り坂の途中で思いっきり急ブレーキを掛けた。
ない…
お・サ・イ・フがない‼︎
夏日の暑さとは対称的に、背中を氷柱でなぞられたかの様に一気に血の気が引き、慌てて自転車の向きを変えた。
顔面を青白くさせながら、数百メートルほど引き返してみたものの無情にもお財布は見当たらず、時間に余裕がなかった僕は、悪魔のイタズラに動転する気持ちを抑え込み、再び自転車の向きを換え進路に戻った。
お財布の中にあった1万円程の現金、あれは募金したと思って諦めよう…
免許証、急いで再発行しないと…
クレジットカード、これは早々に止めないと…
キャッシュカード、しまった現金も引き出せない…
サンマルクのスタンプカード、せっかくコーヒー3杯分貯まってたのに…
お財布の中にあったカードとの思い出が、走馬灯の様に次々と頭の中を駆け巡った。
しかし、幸いなことにスーパー楽観的である性格に助けられ 『悔やんでも後の祭りだ』 と割り切り、目の前の事に没頭しながら僕はその日1日を乗り切った。
日中の陽気が嘘であったかの様に冷んやりと澄んだ空気の夜道。朝の惨事もすっかりと忘れ、自転車を漕ぎながら同じ道を通って帰宅した。
そして、体に纏わり付いた鬱憤を晴らすかの如く思いっきり寝室のベッドに飛び込んだ、その時だった。
事態は急変し、一気にクライマックスを迎えた。そう、神様はまだ僕の事を見捨てていなかったのである。
(いっってーーーー⁉︎)
布団の下で膨らむ硬い何かが、僕の肋骨を強打した。
僕は体に押し潰された布団を、まるではた織りをするツルを覗くかの様に恐る恐るめくった。
そこには別れを告げたはずの財布が、ワザと隠れていたかの様に半日越しに顔を出したのであった。
今朝、僕の前に突如として現れた悪魔は、こつぜんと妄想の中へと消えていった。
そう、冗長に綴ったが
『ただ家に財布を忘れただけ』
のお話である。
いつも当たり前の様にポケットに存在していたお財布との再会に、半日前に大切な人と餞別の言葉も掛けられないまま死別したかの様な喪失感を味わった僕は、死者蘇生を目の当たりにしたかの如くベッドの上で踊って喜んだ。
『いつも当たり前に存在し過ぎて、永遠にそこに在るかの様に錯覚している物でも、いつかは必ず当たり前ではなくなる時が来る』
そんな思いを、頭の片隅に置きながら同じ時間を共に過ごす人や物、環境を大切に日々感謝して過ごそう。
そんな柄でもない綺麗事が薄汚れた僕の頭の中を洗い流した。
(おしまい)
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
他愛もない文章を書いていたら、なぜか物語口調になってしまいました。
また気が向いたら箸休めしたいと思います。
調子に乗ってnoteにアカウント作りました。
こちらで時々ノンフィクション物語書こうと思います。