新型コロナウィルスの猛威により、東京オリンピックの延期が正式に決定しました。
残念な結果ではありますが、よく言えば最悪の事態である「中止は免れた」という形なのかもしれません。
しかし、このオリンピックに賭けてきた選手の立場を考えると非常に胸が痛みます。
アスリートの寿命は短く、この延期により、代表選手やメダリストの顔ぶれは大きく変わる事になると思います。
つまりは、選手の人生を大きく左右する決定になった訳です。
会場やスケジュール、選手の安全面などを考える時に「アスリートファースト」という言葉がよく使われます。
しかし、実際には「お茶を濁す為に使われているのでは?」と言っても過言でないこの言葉について、一考する必要があるかもしれません。
目次
アスリートファーストとは?
アスリートファーストの定義は「選手が最高の力を発揮するため、環境を整えること」のはずです。
しかし、この言葉を使っているにも関わらず「え、本当にそれがアスリートファースト?」と思わざを得ない事がよくあります。
記憶に新しいところで言うと、2019年の世界陸上ドーハ大会で過酷な気候を考慮し女子マラソンの競技がスタートが深夜になった時、事同じくして、東京五輪で予定されていたマラソンの開催地が札幌に変更された時に使われていました。
まずドーハで大会を開催する事や、真夏にオリンピックが開催される事は、商業化された大会の政治的な影響が強く、この時点でアスリートファーストとは掛け離れたところにいます。
そもそも、冬がシーズンあるマラソンを、強引に夏のオリンピック種目として開催する事にも問題があります。
もちろんスポーツを商業化する事には大賛成ですが、あまりにも「アスリートファースト」を無視した決定と言わざるを得ません。
決定した事にああだこうだ言っても仕方がありませんが、アスリートファーストを考えた時に、今回のオリンピック延期を適切であったのでしょうか?
例えば無観客などでの開催は、可能であったのではないでしょうか?
もちろん無観客になった場合、訪日外国人がいなくなる為、経済的なダメージは計り知れません。
しかし、訪日外国人用のホテルや、大規模な観客席の付属した競技施設を建設してしまった今、アスリートファーストで考える事には限界があるのかと思います。
商業化されたオリンピック
そもそも 1964年に開催された東京大会は10月10日開会の秋開催でした。正にスポーツの秋で、最高の気候であったと思います。
しかし、赤字問題に直面していた五輪が1984年のロサンゼルス大会から商業化され、協賛企業を集め、テレビ局へ放映権の売却などを行い黒字転換しました。
今では、サッカーW杯やその他競技の多くの大会がこのビジネスモデルをベンチマークし、商業的に大会を催していると言われています。
この頃からオリンピックが7月から8月に掛けて開催されるようになった理由は、巨額な放映権を支払うアメリカの放送局のNBCが、NBAやアメリカンフットボールの開催時期と被らない様に、IOCに要請しているのです。
また、過去のオリンピックでも、アメリカのゴールデンタイムに合わせて、多くの種目で決勝種目を午前中に開催するスケジュールを余儀なくされています。
世界最大のスポーツの祭典はアスリートファーストとは言い難い大会なのです。
もちろん、今回の様な世界的なパンデミックが起こっている中で開催したとしたら、多くの批難を浴びる結果になったかもしれません。
しかし、その裏側に人生を振り回される選手がいる事も確かです。
当初標準を当てていた時期から、再びピーキングをし直す事も容易ではありません。そして、開催時期によっては再選考が余儀なくされる場合すらも考えられます。
「与えられた環境でプレーするだけ」
としか言うことができない選手の力が為される、長い闘いは始まったばかりなのかもしれません。