『春は出会いと別れの季節』
と言うが、その日は突然にやってきた。
3月の雪解けが進む陽気な日、
僕は大切な物をなくした…
その日の夕方、菅平高原の宿泊先に戻った僕はお財布がない事に気づいた。
ポケット、リュック、車内、どこにもない…
慌てて勤務しているスキー学校に問い合わせてみたが、やはり見当たらない…
ハンガーに干したウェアのポケットが無防備にも開けっ放しである事に気がついた僕は、焦燥感に駆られながら半年前に起こした事件が頭の中を閃光の様によぎった。
冬の間、スキーの指導活動をしている僕はお休みだったその日、仲間に誘われてスノーボードをする事になった。
恥ずかしながら、スノーボードをやるのはほぼほぼ初めての経験であった。
そして案の定、僕は転びに転んだ。
文字通り七転び八起きし、ベタベタに湿った春の雪と汗にまみれた僕は、その後に起こる惨事に気づく訳もなく、時を忘れたかの様な充実感に包まれていたのであった。
そして夕方事件が起きた…
宿泊先に戻りお財布がない事に気づいた僕は、冷や汗が背筋を沿うのを感じながら身の回りのポケットを掻き回していた。
探しに探しても、お財布はどこにも見当たらなかった…
その日車で帰路に着く予定だった僕は免許証を失い、バスと電車を乗り継いで東京に帰るしか方法がなかった。
実は、僕は約半年前にお財布の紛失未遂を犯していた。
…どうして、
なぜ僕はその時あれほど痛切に感じた『慣れ』の恐ろしさを忘れてしまったのだろうか。
僕は不甲斐ない自分自身に問いかけた。
それは、人に、物に、環境に日々愛情を持って接する事を疎かにした、自分自身の『怠慢』
に他ならなかった。
そんな事を考えながら、僕は犯してしまった事の罪悪感に苛まれた。
別れはたびたび突如として訪れる。
『過去は悔やまない』そう決めていた僕の心に亀裂が入るのを感じた。
と、その時。
こめかみの奥から声がした。
『力を尽くせ』
僕は無意識に営業が終了している夕暮れのゲレンデに向かって歩き始めていた。
『諦めず行動すれば何かが起こる』
そして、日中の強い日差しで雪と泥の混ざりあった汚れた駐車場に差し掛かった。
その時だった…
!!
茶色い土に混ざり込んだ何かが、僕のくすんだ目に映った。
!!!!!
…あった。
きっと朝に落としたのであろう。
茶色い土と同化した僕のお財布が、朝と何一つ変わらぬ姿で物悲しげに僕を見つめていた。
『嗚呼、なんて平和な国なのだろう』
キンキンに冷えたお財布を拾い上げながら僕は心の中で叫んだ。
誰にでも別れは否応なしに訪れる。それはある種の『死』でもある。
そして大抵の場合、人や物と別れた時に、愛情を持って接する事ができなかった過去に後悔を抱く。
そんな後悔を抱かない為に出来る事は、ただひとつ。
それは『今』という、二度とないその一瞬を全力で生きる事である。
僕はそんな事を自分に言い聞かせ、冷えきったお財布を大切にカバンの奥にしまい込んだ。
(おしまい)
この数字が何の数字かピンとくるでしょうか?
これは人が一生を過ごす日数です。すでに20代後半であったとしたらその残日数は「20000」を切っています。
それが多いか少ないかは人それぞれかもしれませんが、毎日楽しく過ごしても、怠けて過ごしてもその数字は平等に減っていきます。
そう考えると、日々の取り組み方が変わってくるかもしれないですね。